
真実は誰にもわからない
「私たちはなぜ生きているのでしょう?」
「人生はどんな仕組みで成り立っているの?」
「何を信じて生きればいいの?」
──そんな問いに対する“本当の答え”は、誰にもわからないと私は思っています。
たとえば、私自身はこう信じています。
本来、私たちは「完璧で完全な存在=神さま」から分かれてこの世界にやってきました。
幻想のマトリックスの中で、
「良い・悪い」「好き・嫌い」「正しい・間違い」といった二元の体験をしながら、
最終的に「私は愛そのもので、すでに守られている存在なんだ」と思い出すために、
この人生ゲームを歩んでいる──と。
だから、足掻いたりもがいたりせず、流れにゆだねれば、
すべては最適な場所に収まっていく。
そう信じています。
けれど実際のところ、
私は「神さまと一緒にいた記憶」も「そこから分離してきた記憶」も持っていません。
だからこそ、これが真実かどうかは確かめようがないのです。
人の数だけ真実がある

たとえば、臨死体験をした人が「光=神の世界を見た」と語ることがあります。
それは体験した本人にとっては真実です。
でもそれもまた、魂が設定した幻想のドラマの一部かもしれない。
そう考えれば、可能性は無限に広がり、どれが本当かを証明することはできません。
結局のところ、「真実は人の数だけあるけれど、“究極の真実”は誰にもわからない」
──それが私の信じていることです。
だから、何が正しいか、何が間違っているかを追いかけても意味がないと思うようになりました。
何を頼りに生きればいい?
では「何を頼りに生きればいいの?」ということになりますが……
それは、“自分が今、信じたいこと”を信じればいい と私は思います。
他人の真実に合わせる必要もありません。
正しいかどうかを気にする必要もありません。
ただ「自分が信じたい真実」を軸に生きてみる。
私自身が歩んできた「真実」の変遷
ここからは、私が信じている真実をベースに話を進めますね。
「信じたい真実がまだ見つからない」という人も大丈夫。
無理に探さなくても、いま目の前にある二元の世界をそのまま信じてみればいいのです。
けれど、一つの真実を信じて生きていると
ある時「生きづらい」「進めない」と感じることもあります。
逆に「もっと楽しい」「この道の方がワクワクする」と感じたり、
導いてくれる人やインスピレーションに出会ったりすることもあります。
そうしたサインがやってきたら、それは「次の真実」へ進む合図です。
そこでまた、新しい真実を信じて歩み出せばいい。
そうして少しずつ、「あなた自身の真実」に近づいていくのだと思います。
私自身もこれまで、いろいろな真実を信じてきました。
・自己啓発的な考え方
・引き寄せの法則
・波動理論
・神仏への祈り
・その他スピリチュアルな思想
その時々の私にとっては、すべてが真実でした。
でも同時に、どれも「究極の真実」ではありませんでした。
ただ、どれも必要なステップであり、材料だったのです。
一つの真実を信じていると、やがてそこから離れるきっかけがやってきます。
そして次の真実へ進む。
またサインがあって、さらに次へ──。
そうして歩みを重ねて、今の私が信じている真実にたどり着きました。
これは、これまでで一番「楽で安らげる真実」です。
もちろん、この先また別の真実へ進むこともあるでしょう。
その時は、また新しい気づきに出会えるのだと思っています。
信じたい真実を生きる旅

だからこそ私は思うのです。
正しいか間違いかを気にするよりも、「信じたい真実」を生きてみること が大切だと。
その真実は、今のあなたにとって必要な材料です。
そして一つに執着せず、サインが来たら次へ進めばいい。
そうすることで、あなたの人生は少しずつアップデートされ、究極の真実に近づいていくでしょう。
「今、自分の信じたい真実はなに?」
そう問いかけながら歩んでいくことで、執着を手放した先に新たな気づきや、
あなただけの真実が広がっていくでしょう。
「正解はどれ?」「間違っていたらどうしよう…」と悩むより、
もし今の真実が生きづらいなら、別の真実を選んでみてもいい。
信じたい真実を生きてみることで、人生はもっと面白く、軽やかに感じられるはずです。
もし今、生きづらさや停滞を感じているなら、それは次の真実への扉が開いているサインです。
今の真実は、次の真実のための材料であり、究極の真実へつながる手がかりなのです。
まずは、今自分が信じている真実を見つめてみてください。
そして、自分にとっての究極の真実を探す旅を、ともに楽しんでいきましょう✨✨