宇宙にすべてをゆだねて生きてみた #8
トゥレットから学んだエゴとのつき合い方
ふと、あることに気づきました。
エゴ(自我)の囁きをシャットアウトしようとするのもエゴだと。。
だから無限ループでなくならない・・・
ここで打ち明けますが、、
私は子供の頃から、軽度のトゥレット症候群(チックの症状が複数重なって現れる病気)でした。
子供の頃からずっと
「変な目で見られないように」
「嫌われないように」
「周りに迷惑かけないように」と思っていました。
仕事も支障が出ないように、息を止めて対応したり作業したりしていました。
相当苦しく長い時期でした。
とにかく自分の中からチックの症状をなくしたい、排除したいと思い続けて生きてきました。
でも震災後、自分を偽っていた心に終止符を打ち、自分らしく本当にやりたいことをやり始めていくと次第に気にならなくなりました。
もちろん今も症状は出ますが、以前ほど酷くはなく、自分でも気にならなくなっています。
「どうでもいい」と思えているので、上手く共存できているんだと思います。
と同様に、、
エゴも「排除しようとするのではなく、共存すればいい」と思えたのです。
「様々な感情や感覚を味わうゲームのためにエゴがあるんだから、まあいいか」と放っておくことにしました。
それからは、エゴの囁きが聴こえたら
「神さまの愛と豊かさによって守られているし、必要なものは常に満たされているから大丈夫」
と唱えてお祈りするようになりました。
エゴの声が酷いときは、モーニングページで吐き出しつつも、普段はそれで収められるようになっていきました。
すべてをデトックスする時期
2021年11月
今回体験している厳しい状況を振り返ると
「様々な執着を手放すための『魂の計画』の流れ」だと感じました。
なぜなら、結果的に「無駄なもの・不必要なもの」をすべて手放していたからです。
・「いつか使うかも」と思いつつ使ってなかったもの
・無駄にかけていた費用
・必要以上の食費や生活費
・通信のための費用
・ライフワークのための経費
・車のあり方 などなど
「何を残し、何を手放し捨てるのか」をテーマにして、すべてを実行しました。
そうしたら「生きてることがありがたい」「それだけで嬉しい」と思えてきたのです。
たとえ家がなくなっても、車がなくなっても、電話がなくても・・など、、
手放す必要があるものすべて手放す覚悟をしました。
そして、一時的にどんな状況になったとしても「必ずベストな状態へ導かれてる」と信頼するようにしました。
すべての味わうべき計画をやり終えれば
『今世の人生』もゲームクリアとなり、「体」さえも手放すことになるんでしょうけど(^^)
そうじゃないうちは、エゴがあって、2元の世の中があって、
そこでの感情を味わうゲームの真っ最中にいるのを喜び楽しみたいと感じたのです。
すると徐々に・・
手立てを考えたり計画したりしているわけではなく、
ただ流れに委ねて導きに従っているだけで、生活が回り始めていきました。
劇的な奇跡があるわけではないのですが(「劇的」を望んでるのもエゴの仕業かと・・)
誰かからの援助があったり、公的支援が入ったりと、小さな小さな奇跡が重なって収入が入るようになってきたのです。
最初はそれらを「一時的な収入」だと思っていました。
でもよく考えてみると、収入に「一時的」とか「コンスタント」など存在しないと気づきました。
どこかの会社に属していても、明日はなくなるかもしれません。大きな会社を経営していたり、投資をしていたりしても同じです。
「収入だけでなく、補償されるものなんてこの世の中に何もない」と思えたのです。
全部「一時的なもの」が継続的に見えているだけです。
しかも、お金が『神さまからのエネルギーとしての贈りもの』だとしたら、必要ならば何らかの形で継続していくはずです。
そうでないなら『何かに気づくべきタイミングとサイン』だと言うことでしょう。
私たちの体験を書き綴った理由
2021年12月
小さな奇跡は起こり続け、心や意識、そして身の回りの状況も180°変わり、
最悪の時と比べると、まったく別の人生が始まっているかのようでした。
私は、物事や出来事はすべて「良い・悪い」「正しい・間違い」などなく、
ただただ「ニュートラル」で存在していて、その「ニュートラル」なことに
人それぞれの経験や感情によって
「良い・悪い」「正しい・間違い」といった判断を加えているだけだと思っています。
ですから、私たちの経験や話が誰にとっても「正解」というわけではありません。
それどころか「それは違う」と思う人もいるでしょう。
私は今回、この厳しい体験が始まった時に、同じ経験・体験や克服する術をいろいろ探しました。
でも、殆んどがスピリチュアル・アドバイス的で、教科書的な情報や本ばかりで
体験談的なものを見つけることができませんでした。
「もっと身近な体験談があれば、もっと楽になるし道も見えてくるのに・・・」と思いました。
そして、もがきながら導かれて数冊の本にたどり着いたわけです。
私が体験談を書き綴ってみようと思ったのはこういう経緯からです。
「私たち夫婦の体験が、私たちのように藁をもつかむ思いで、人生のための光を求めている誰かの、何かのお役に立てたら嬉しい」
「誰か一人でも、この体験談の中から何かを拾い上げ、何かのきっかけになってもらえたらいーな」
と心の底から思っています。